素早い回答ありがとうございました!
>あえて左で取るなら最初のa-eだけ左手にする
ということは、この箇所はクアジギターレのような楽想ではないということですね。
音数も少ないし、どう演奏すべきかと思いましたが、おかげで私には見えてきました。
ああ私にヴァイオリンが弾けたなら。
内なる音楽を音に出来ないことは苦しみです。
アルメニアの歴史書では長らく、
街が滅ぶことを「どこそこの音楽が途絶えた」と記述したのだそうです。
ブルールをこのように使うのは「ペヘジェ」という分類の農耕の踊り歌でして、
そこでは本来、宗教音楽とは違う音階を扱います。
そこへ、古い教会旋法(に近しい)装いがこのように振る舞うのか、
ああルーツはここにもあるのだなと強く感動しました。
万能感が毒とのこと…ピッチクラスセット然り、メシアンの音楽語法然り、
セリエスム然り、藝和然り、パレストリーナ然りですよね。
それらの形骸化した思念を超えて(捨てるのではない)、
最奥の音を選ぶことができるとき、
私たちは音楽家なのかも知れません。
例えばプロコフィエフやシベリウスの楽曲の凄さをセオリーが説明できないように。
少なくとも私は、kbnさまのお書きになる音に、
「演奏家にとって極上のエモーション」を感じています。ありがとうございます。