#声楽 #ボーカロイド #和楽 登場するのはト音記号だけ、
ボーカロイドの1ライブラリがあれば演奏可能な作品です。
音数も60ちょっとと少ないので、簡単に演奏できるかと思います。
不慣れな手書きの為、読み辛い箇所があったらばごめんなさい。
「〜ボーカロイドの為〜」という副題がありますが、
UTAUやCeVIO等の合成音声なら演奏可能です。
音域的には、生歌唱でも出来るかと思いますが、
機械音声を意図して作曲しました。(生歌唱でも演奏可とします)
音素(歌詞)の指定はありません。
質問があればお気軽にどうぞ。
ちなみに、世界で最初にこの曲の完成を見た私は、
出来上がった楽譜をみて「あ、天体写真だ」と思いました笑
ニコニ・コモンズ:
nc174715
某所でご質問いただいた回答の一部をこちらにも掲載します。
参考になるようでしたらどうぞ。
〜〜〜
音の入り捌けはいい加減でよいです。仮に順序が違っても、あまり問題とならない。
作曲が手抜きではいけませんから、がっちりと考えましたが、書き起こすにあたって、ずらしてあります。それは何故か。
和楽器、なかでも笙を扱う音楽は、音の入り捌けが厳格ではありません。
「せーの!」で音を合わせようとして、ばらばらに入る。それが良い、趣がある、とされるのが和楽なのです。
音が移行するときも、決まった音から決まった音を移動するとき、間に関係のない音がまじってしまう。
これを消したり、鳴らないよう工夫したりしないのです。全て受け入れる。自然のまま。
この楽譜にない音を雅楽では「手移り」と呼ぶのですが、次の音の、指遣いに、徐々に変えていく「途中の音」を、そのまま受け入れる、というものです。
笙などは、間の音階が入るというものではなく、全く関係のない音が鳴ります。それを雑音と考えない。
場面が転換する、構成が区切られる場所があるという(和楽の)曲の場合は、そこで順序が狂わないように配慮されることもあります。
ですが、大抵の曲で、それは無視されます。ですから、それぞれの音が適当に入れば良いのです。
個人的に、宮廷楽師に教えて貰った興味深いことがあります。「和楽の精神は世界協調」なのだそうです。
人種差別などを克服する方法が和楽にはある、何も除かない、全てを受け入れ、自然体をよしとする精神がある、ということだそうです。
とても印象的。
ヨーロッパの音楽の考え方というのは、オクターヴを分けるだとか、響き合う数値を導くだとか、洗練して磨き上げる、といった精神があります。
云ってしまえば、澄んだ音を求めるんです。
日本の音楽は、澄んでいることは弱いとことだと考える。わざと濁らすのです。
笛には「のど」というしぼりをつけ、三味線には「さわり」という雑音が出る装置を”わざと”付ける。
調律や和音も、わざと不協和になる音を選ぶ。雑然としているさま、それが豊かさをあらわす。それをよしとする。
あと、和楽というのは、鍛錬はしますが、練習はしません。楽器をさらったりしないのです。
すべてが本番だし、すべてに神が宿る。面白いと思いませんか。
私は西洋の楽器を専攻していたので、こうも考え方が違うのかと衝撃的だった。
日本アルプスは、作曲にあたっては62分割しましたけれど、音符は少しずらして書いてあります。
中心点を探しても、縦の線を引いても、62に音符そのものは合いません。
厳格に合わせて欲しいなら合わせやすい方法で楽譜を書きます。そうではない音楽なのです。
楽譜眺めながら「こんな感じかしら」と音を並べて貰えればそれでいい曲なのです。
長さだとか、音程だとか、割と”どうでもいい”とまで言えます。
追加:2018/04/08 00:57